エラーとリフレイン

不出来な備忘録

感情と理性。意識と自我。私を構成する諸々。精神。
意識は明晰なようであやふやだ。無意識のごちゃごちゃしたものが時折表面化するようだ。
無意識とはなんだろう。分節化し、分析し、説明しきれるものだろうか。物的なものだろうか。脳内で完結してるものか。
過去の自分を無意識やら何やら、その分節化された要素で説明しきれるものだと思うとたまらなくなる。失望する。やりきれない。
無意識を無意識のままにしておきたくない。その支配下で惨めに生きるのはもう耐えられない。
だからこうして考える。文を書く。
言語化にどれほどの意味があるのかわからないけれど。言語化できないものをどれだけ掴み取ることができるだろう。直観で生きるとはどんな感じだろう。
僕は不毛な関係を好ましく思う。意味や価値、功利的な判断で説明しきれるような、そんなものから逃れたいのだ。説明しきれない何か、言語化しきれない何かを求めているのかもしれない。
思考の根底には動機としての感情がある。それを意識するのとしないのとでは、何かが違うように感じている。その感情を意識したとして、感情はコントロールできるだろうか。自覚があるにせよ、ないにせよ、その思考とか行動とか、結果は変わらないだろうか。少なくとも、思考は少し葛藤が混ざるだろうか。過程が変われば、結果も変わるだろうか。
この不毛な内面の自己反逆が、何を生むというのか。僕は無意味に苦しんで、何も変えられないまま、ただ時を失っていく。
葛藤が、鬱屈が、失望が、怒りが、僕の精神を満たしていく。僕の精神は密度を持ち始める。質量を持ち始める。重たい、暗い気分が、僕の僕という存在を満たしていく。この密度が、質量が、重さが、僕のただひとつの、かけがえのない、僕が僕である証であるように、そんな風に感じてしまっている。
この僕の精神を形にすることが、表現していくことが、僕の存在の昇華であるような、そんな気がしている。
それだけが、目下のところ、僕の存在の理由になっている。