エラーとリフレイン

不出来な備忘録

実存的な生

実存的な生を送りたい。
最近はそういう気持ちでいた。
自由意志とはなんだろうか。何から自由になりたいのか。自分から自由になって何になりたいのか。無になりたい。
偶然と必然について考えていた。
この世界は非恣意的で偶然的なものであるだろうか。それとも恣意的で、必然的なものだろうか。生命の恣意性。意志の存在。僕は非恣意的な必然という可能性に恐怖する。
原始偶然というものがあるとして、それは時間的に原始のものというわけではなく、常に現在にあるものでなければ、偶然は肯定できないように思う。量子脳理論。
どうやら僕はこの無意味な生に納得を持ち生きていかなければならないようだ。無意味なゆえに、その価値判断は僕に委ねられていることになる。偶然か必然か、現前するこの僕の生を享受しなければならない。
しかしこの不条理な世界を前にして合理は歯が立たず、自分を誤魔化すことなしには納得できそうにない。本当に納得しなければならないか?この無意味で不合理で不自由な生に?
人は幸福を願う。それはどういうことだろう。幸福になるとはどういうことか。在るべき姿にならなければならないという納得か。そしてその在るべき姿でいられるのはどれほどの間か。本当に幸福にならなければならないか?
無意味で一時のこの生に納得や幸福がどれほどの価値を持つだろうか。
他のあらゆるくだらないものと同価のこの幸福と納得を僕らは大切にしすぎて苦しんでいる。そうならないだろうか?
無為自然?クソ食らえだ!
自我に対する無関心。自分から自由になったとして、何になるのか。
意識的な生。あらゆる偶然に目を向ける。自己のものとする。必然とする。恣意的な意味付け。運命愛。
偶然の堆積が新しい僕を形成する。無限の変化。
さて、僕はどこに向かうだろうか。